球界の使命

セリーグが予定通りの開幕を強行することになったんだそうだ。状況が状況だけに、野球をやる・やらんいずれかが100%正しいとは言えないと思うが、東京ドームでナイターをやることは100%間違いだと言っていいと思う。
プロスポーツが被災者を、日本を元気にするというのであれば、今年は試合数を減らしてでもいいから、日本各地を巡業する形で実施してはどうだろう。たしかに地方球場の観客収容数は少なく、観客動員の総数や収入は少ないかもしれないが、各地を回れば、「今年プロ野球を見に行った人」の数は例年を大きく上回ること疑いない。多くの人が試合に生で触れてこそ、感動と元気をもたらすんじゃなかろうか。
楽天が関西に来ることについて、グリーンスタジアム神戸(とあえて言う)のスケジュール等を理由に難色を示したそうだが、なにも一つの球場にこだわる必要などないはず。京都の西京極(とあえて言う)をはじめ、大阪にも舞洲や南港にそこそこ大きな球場はいくつもある。そのあたりの球場が連携して受け入れれば、不可能なことはないはずだ。NPBは横着をせず、アマ球界も含めて「野球」が今の日本に対して何が出来るか、どうすればより多くの感動、元気、勇気を贈ることができるか、しっかりと考えてもらいたい。

携帯電話によるカンニング

うーん、まさか単独犯行だったとは。監督官もそこまでザルではない、まず無理だろうと思っていたんだが、問題を漏らすだけでなくそれに対する回答をチェックするとはなかなかの手練れである。しかし、せめて解決済みの質問くらい削除しておけば良かったんじゃないか?それほどまでに追いつめられていたのか。
これに対し、大学側は当然対策を練る必要があるのだけれど、いくつか上がっている具体案としては

  • 携帯電話をいったん預かる
  • 試験監督を増やす
  • コンサートホールなどで使われている、妨害電波発生器を使う

というところだろう。個人的には、いちばん効果があるのは「試験監督を増やす」だと思う。携帯電話を預かると言っても、機種変更する前の古いやつを電源切って渡してしまえばそれでパスできるだろうし、電波妨害をして外部との通信を遮断したところで、携帯電話自体に辞書や計算機の機能が備わっている以上、それはカンニングを防ぐ手段としては不十分である。あらゆる機器が小型化している昨今、それらを用いた不正行為をすべて無効化する方策が求められている。
そう、「無効化」すればいいのである。
違法行為を根絶する唯一の方法は、すべてを合法化することだ…というのと同じ発想だが、辞書や計算機の使用を許可し、それを前提とした問題を作ればよい。そして、外部の協力者に相談をしても意味がないような問題を。
膨大な知識に簡単にアクセスできる現代社会においては、個人の頭の中にどれだけの知識が詰まっているかというようなことは、従来ほどには値打ちを持たない。常識はずれの知識量を誇るクイズ王がスーパーコンピュータに敗れるくらいだから、そういった分野はコンピュータに頼ればいい。知識の量によらず知力を計る、その手段も指標もなかなか難しいとは思うが、そうせねばならない時が来ているのかも知れない。
それにしても…京大を受験するような人間が、正解を知っているとは限らない他人を頼るという発想に驚いた。個人の知より集合知の方が優れているということを知っているというのは卓見だと思うが、彼は何かの絶望を経てそこにたどり着いたのだろうか?少なくとも学力に関して、京大受験者なんてのはプライドと自信の固まりばかりだと思っていたんだが。

すごいものを見つけた

日経Linux 創刊からの全132巻をすべてPDFで納めた「日経Linux 記事PDF全集 創刊〜2010年 11年分 USBメモリー縮刷版」。久しぶりにLinuxも触ってみたくなっている昨今ちょっと気になる。まぁ私にはちょっとレベルが高すぎるように思うので多分買わないと思うけれども、このUSBメモリー縮刷版の真のすごさは、内容の豊富さではなく、別のところにある。

動作環境

なんと、Linux上では見ることができないというのである。どう考えても、想定すべき読者層はLinuxユーザーであって、彼らはWindows環境を持っていない可能性も十分あるというのに。喩えて言うなら、日本人がより深く日本を知るための本を、英語で書いているような。この企画を通した人は一体何を考えているんだろう。
興味のある方はこちら

twitter歴2週間

試しに始めてみたtwitter、どっぷりとハマっている人から見ればまだまだヨチヨチ歩きのように見えるだろうけれども、感想を。私が相当にひねくれた人間だということは皆さんご存じだと思うし、あくまでもそんな私の個人的な思いであるという前提で。
何人かの友人と出会うことができて、彼らとは(少なくとも私の方は)楽しくやりとりをさせて貰っている。さすがやなぁ、と思わせるtweetを読むと、何となく脳みそが活性化される気がする。ただ140字という文字制限は、じっくりと文章を書くには短すぎるけれども、ざくっと一言というには長すぎるほどの余裕があるという印象。たぶん、英語で140文字というのがちょうどいい感覚で、表意文字を含み、1文字1音節を表せる日本語だと60〜80文字くらいがベストなんじゃなかろうか。
その一方で、有名人やら各種情報提供者を試しにフォローしてみたけど、すぐにやめた。その人はしょせん赤の他人であって、その人の一挙手一投足まで気になるというような対象ではない。有名人の動向なんてものは、いわゆるワイドショーを楽しく視聴できる人にとっては気になる情報かも知れないけれど、何を食べようが、どこに行こうが、誰とつきあおうが別れようがはっきり言ってどうでもいい。私にとっては、昨日のウズベキスタンの天気と同じくらい値打ちのない情報である。また、提供される情報のジャンルが私の興味に近いものであったとしても、そのうち本当に自分が知りたい情報なんて30件に1件あるかどうか。残りの29件はただ画面を占拠する邪魔な文字列で、知りたいと思う情報に対する阻害要因でしかない。ただ延々と、いつ自分に有用な情報が来るか分からないのを待つというのは、テレビの情報番組をずっと見続けさせられるのと同じで、私の性には合わなかった。
私は「友達の友達はみんな友達」に近い感覚の持ち主ではあるけれど、全くつながりのない人と、ただ同じ興味や趣味を持っているというだけで簡単に友達になれるタイプではない。それに対して「損してるね」「楽しみ切れてないね」ととらえる人もいるだろうが、人には向き不向き、好き嫌いというのがある。少なくともしばらくは、知己とのやりとりを楽しむツールとして活用したい次第である。

物欲メモ

絶対に要るものは一つもないんだが、金ができたらちょっと欲しい。欲しいけど、なくてもいい。なくてもいいけど、あったら楽しそう。その程度の欲しさだから、余計に迷うんよなぁ…とくに優先順位。最も「必要」に近いところにいるのは革靴かも知れない。古いのを一足履きつぶしたら「必要」に格上げしてもいいな。
あ、オチとかそういうものはありませんので悪しからず。

ランドセルは6年間

Yahoo!ニュースで「ランドセル6年生まで 8割超」という見出しを見て、中学校でも使うところが2割弱あるのかと思ってしまったが、小学校の途中で使わなくなる子が2割弱ということらしい。えっ、ランドセルって義務ちゃうの?

ランドセル“復権” 「6年生まで」8割超す

産経新聞 2月23日(水)7時57分配信の記事より抜粋

 ランドセル向け人工皮革を製造しているクラレ(東京都千代田区)は毎年、ランドセル購入者の新1年生の男女計400人の親を対象にアンケートを実施している。それによると、「近所の子供が何年生までランドセルを使用しているか」との問いで、「6年生まで」の回答は平成15年は59.4%で、その後年々増加。昨年は78.5%に達し、今年は8割を超える。兵庫県姫路市愛媛県松山市のある市立小学校では「以前からほぼ100%」横浜市立北方小学校(中区)で「約5割」、同市立東品濃(しなの)小学校(戸塚区)では「6、7割」という。
 聖学院大学(埼玉県上尾市)の東島誠教授(歴史学、政治思想史)は「ランドセルを“卒業”したり、逆に6年生まで“完走”したりすることで、自立心を表現することができたのは過去の話。機能的で軽量、色やデザインの選択肢も多い昨今、ランドセルを使い続けることにそもそも疑問を持たない」と分析する。

記事の途中でさらっと、わが故郷姫路市が登場していたけれども…20年前のことを言うと、わが学年は100%ランドセルやったし、他の学年でもランドセルを使ってない子を見た記憶はない。子供がランドセルを嫌がるからって、リュックなんかで行かせるってこと?ちょっと考えられない。そんなん非行の始まりや!…って、姫路市のヤンキー率の高さとランドセル使用率の高さを考えたら関係ないか。はは。