○○が透ける

卑猥な内容になってしまいそうだが、純粋にことばの話として読んでください。
「○○が透ける」と言うと、半透明なものを通して何かが見えることを指すと思う。しかし、半透明なのは「○○」自体なのか、それとも他の何かが半透明なために「○○」が見えるようになるのか。
私は、文脈次第でどちらにも取れるのではないか、と思う。

  1. 袋が透けて中身が見える
  2. 中身が透けて見える
  3. 袋が透けて見える
  4. 中身が透ける
  5. 袋が透ける
  6. 風呂敷が透ける
  7. カーテンが透ける

どうだろう。「○○が透ける」の「○○」に入ることばが「中身」の性質を備えたものであれば、半透明なのは「○○」を包んだ何かであり、「包み」としての性質を備えたものであれば、半透明なのはその「○○」自体であると言えないだろうか。
とすると、この「○○」に入ることばが「中身」「包み」両方の性質を備えうるようなものであった場合、これは曖昧な表現になりうる。シャツの上から下着が透けるだけなら冗談で済むかも知れないが、小島よしおの下着が透けてしまったらそれはもう放送事故になってしまうのである。あぁ、あれは水着か。
ということで、からだ巡茶のCMの差し替えについては、あれを「包み」として解釈してしまった人から猛抗議が来たのかもしれないな、と思う次第である。