税金の無駄遣いを精査する

いま、民主党事業仕分けとかいっていろいろと支出を絞ろうとしているらしい。たしかに、今の国家財政はピンチだと言われているので、何かしないといかんだろう。
ただ、私の考えで言えば、国がやる事業が黒字である方がむしろおかしい。国の事業は全て赤字でいいくらいだ。
なぜなら、もうかる事業なら放っておいても民間がやるからだ。国が金儲けをしようというならば、たとえば昔の国家のように塩やたばこ、鉄を国の専売にすればいい。そうして富を蓄えた国は史上いくらでもあるし、日本もそうだったはずだ。でもこの国はそれをやめた。なぜか。それを民間に開放した方が、国全体が富むと考えたからではないか。
国全体が富めば、税収が増える。そうして増えた税収をもって、民間が手を出さない事業、すなわちどうやっても赤字にしかならない事業だけを国がやる。それが究極のあり方ではないか。だから、郵政事業を民営化すること自体については、私は反対しない。ただ、今より不便になる人が1人でもいるなら、その方法は正しくないと思うが。
赤字になる事業を国がやらなければ、その事業は我が国から消える(正確には、奇特な資産家頼みになる)。むろん、消えてもいい事業もあるだろう。しかしそれを判定するのは、採算性という基準ではなく必要性という基準でなければならない。たとえば、「教育大学」という名の付く私立大学はひとつもない。教育学部だけでは儲からないからだろう。また、公立の小中学校など、採算は間違いなく赤字だが、人件費が高いとか先生の質が落ちたと言う人はいても「つぶせ」と言う人はいない。誰が見ても必要だと考えられているからだ。
科学技術の振興についても、様々な補助金が国から交付されていて、今回見直しの対象となっている。たしかに採算はあわないだろう。必要かどうか、一般市民には分かりにくい。たぶん無駄遣いもあるんだろうと思う。しかしここから国が手を引けば、この国の科学技術は衰退の方向へ進む。国が何に予算を付けるか、ということは、国が何を重要視しているか、と同義である。天然資源も土地もない我が国が世界に伍していくためには、科学技術しかない。科学技術の振興に金を出し続けるのは、樹木に水やりをするようなものだ。いつ実を結ぶか分からないが、水やりをやめてしまえばその木は枯れる。枯れてしまえばもう取り返しは付かない。
老後の世話など自己資金でやれ、子供の教育は親が責任を持て、科学研究は企業が頑張れ…という国をめざすなら、採算の合わない事業は全部やめてもかまわんが、そうでないなら赤字の事業を見捨てないでやってほしい。