国語の乱れ

言葉は常に変化し続けるもの。誤用も広まれば誤用ではなくなり、それが新しい意味になる。
古文での「きりぎりす」は今の「コオロギ」、「こほろぎ」は「キリギリス」、「まつむし」は「スズムシ」、「鈴虫」は「マツムシ」…。今の「新しい」は「あらた(=新しい)」と「あたら(=惜しい)」の混用だと言う。
辞書の意味と、人々が実際に使う意味とに相違が生じた場合、改めるべきは辞書の方である。大きく広まってしまった「誤用」について、今更本来の使い方や意味に戻そうとするのは無意味であり、徒労に終わるだろう。
「煮詰まる」という語について、「そろそろ結論が出そう」という意味に捉えるか、「結論が出そうにない」という意味に捉えるかで世代差が出たらしい。正反対の意味なので重大な誤解を生みそうであるが、実際のところは大丈夫だと思う。
結論が出そうだという意味で「煮詰まる」を使う場合、煮詰まっているのはアイデアであったり文章であったり、作業の対象物である。それに対し、結論が出そうにないという意味で「煮詰まる」を使う人は、自分自身あるいは頭の中が煮詰まってしまっているように思う。それに、

「ちょっと煮詰まっちゃって…」

という発話を聞いて結論が出そうだというプラスの意味にとる日本人はいない。語の意味が正反対であろうと、発話者の表情、口調、また文脈などで十分に補えるものである。