子供の安全を守る

今朝テレビを見ていると、こんな内容のことが報じられていた。めざましテレビの「ココ調!」やったかな?

家の中には危険がいっぱい。子供は、大人が思いも寄らないところに指を入れたり、手を挟んだりするので、そうして怪我をしないようにいろんなグッズが販売されています、云々。
専門家曰く「子供は好奇心がいっぱいですから、いろんなところに手や指を入れようとします」。タンスの引き出し、ドアのちょうつがい側、折れ戸の隙間、電気のコンセントなど。
ドアで手を挟むとどれくらいの力がかかるかなどの実験と、安全グッズの数々を紹介し、「うちのドア全部につけたいですね」と母親が言って終了。

不思議だ。子供が好奇心で一杯などというのはここ最近の話ではなく、何百年も前からのことだろう。引き出し式のタンスも昔から当たり前の存在。昔の日本家屋は引き戸が多かったとは言え、西洋の家屋にはちょうつがい式のドアが当たり前だっただろう。大昔にはなかったものといえば電気のコンセントくらいのもので、長い間子供たちはこういった危険だらけの中で、安全グッズなどなしに過ごしてきたはずなのだ。
しかし私は、こういった家庭内の危険で後々の人生に影響を及ぼすほどの大けがを負った人を一人も知らない。新聞記事に載っているのならば見たことはあるが。うちの母は、まだコタツが電熱ではなく炭火を使っていた頃に、掘りごたつにもぐって頭のてっぺんあたりをやけどしたことがある。今もその痕は残っているが、それだけのことだ。指を切断したり、失明したりといった、取り返しのつかない怪我さえしなければよいではないか。
「子供にはかすり傷一つ負わせたくない」ならば、子供と危険を切り離せば確実なように思える。しかし、自宅の中で完璧にそれを実行したとしても、そういった対処がなされていない施設や、子供のいないよそのお宅にお邪魔したときにはどうなるか?たとえば、引き出しに手を挟んだ経験のない子は、引き出しが危険だという認識を持つことができないのではないか。危険から遠ざけられることによって、何が危険かを察知し、それを避けるという本質的な能力が欠けてしまうのではないか。
「一病息災」という言葉がある。広辞苑に拠れば「持病が一つくらいある方が、無病の人よりも健康に注意し、かえって長生きであるということ」。病にかかったことがなければ油断したり、病を軽視したりする。子供の無病息災を願う親心は分からんでもないが、やはり少しは痛い目にあっておいた方が、大きな痛い目に遭わずに済むのではないだろうか。