大学入試だ

今日・明日は全国的に国立大学の前期試験。うっかりしていて(というか疲れていて)山科駅から自転車ではなく地下鉄→バスというルートを取ったのだが、東山三条のバス停が異様に混んでいる。3台ほどやり過ごしてみたが、いっこうに空いた車両が来ない。仕方なく乗り込んだところで、いつもと違う乗客層に気づいた私。しまった、こんなことなら無意味に待たずさっさと歩けばよかった。そう思っても後の祭りである。
ところが車内をよく見ると、どうも受験生が親に手を引かれていたりするのである。言わせてもらえば余計な人が乗っていて、それも混雑の一因となっている。目に入ったのは全て女の子、親は母親だったが、そこまで心配になるものなのか?生まれ育った地域に公共交通機関というものがない子供ならば、たしかに心配になる気持ちも分かる。しかし、そうだとすればその母親も最低で20年近くそこに暮らしているわけで、やはり大した役には立たないのではないか?京都の交通機関は単純なもので、京大に行きたければ乗るべきバスは決まっている。心配ならタクシーを使えばいい。タクシーは高いと思うかも知れないが、親の旅費のほうがよっぽど高い。親さえ来なければ子供をタクシーに乗せてもおつりが来る。もしかして未成年がタクシーに乗ること自体贅沢だと思っているのだろうか。一人ではバスにも乗れないお子様には確かに贅沢かも知れないな。
そういえば先日も、事務室の近くでこんなことを聞いてきた人がいた。40〜50歳くらいの女性だ。

「大学院を受験したいんですけれども、京大の大学とか大学院について全体的なことが分かる資料はありませんか」

私は最初、なんと勉強熱心な女性だ、むかし看護師か何かをしていて、子育てが済んでもう一度勉強し直すのだろうかと素直に受け取った。別にこのくらいの年代の方が受験することは全く不思議でもないし、実際に入学される方もいらっしゃる。そこで教務の窓口の場所を教えたのだが、その女性のあとに20歳くらいの女性がついていったことに気づいた。もし先に気づいていれば、あえて「お母様が受験されるのですか」と聞いていたかもしれない。忙しい子供の代わりに手の空いている母が資料を取りに来たのだというならともかく、横に本人がいるのに一言も発せず、教えてもらってもありがとうも言えず、そもそも一人で来ることもできないなんて、本当にがっかりする。しかも高校生ではなく、そろそろ大学を出て大学院に進学しようかというような、つまりいっぱしの成人が、である。
うちにはまだ子供が生まれる気配もないが、こんなバカな親にはなるまい、こんなバカな子にはするまいと誓う次第である。