ああ播磨灘

別に故郷の海を懐かしんでいるわけではなくて。

ぼけーー

知ってる人ならここまで書けば十分、でもたいていの人は知らないよね。さだやす圭の漫画のタイトル。この人の他の作品には「なんと孫六」「どうだ貫一」などがある。このかけ声+主人公の名前という何のひねりもないタイトルには驚くばかり*1。しかも孫六播磨灘なんて性格はほとんど一緒だ。ちなみに「なんと孫六」は現在も月刊ジャンプで連載中なので、興味のある人は読んでみよう。
さてこの播磨灘、「主人公の名前」ということでお気づきかもしれないが、相撲漫画である。めちゃくちゃ強い横綱なのだが、心技体の心が欠けている、品格などくそくらえというキャラクターだ。どこかのモンゴル出身力士の愛読書かとも思えるが、相撲が格闘技である以上、強いということは非常に重要な要素であり、「心が備わっていなければならない」というお題目を唱えてそれに向かって精進しても、その心が欠けた力士に勝てないのであれば意味がない…という考えの男が主人公の横綱播磨灘なのである。
かなり無茶苦茶な漫画ではあるのだが、この横綱を倒し、国技大相撲を守ろうと奮闘する他の力士達の姿が非常に素晴らしいのである。いやまぁ結局勝てやしないんだけども、それでも必死になって食いついていく。
某モンゴル力士の行動が問題になっているようだが、要するに周りの力士が不甲斐なさ過ぎるだけの話。慢心は敗北につながるのだということ、精進せねば追いつかれるということを肌で感じさせるだけの力士が周りにいないのが最大の問題なのである。異国の地からやってきた人に、日本の国技の頂点だから日本の文化に合わせろなんて言う前に、日本生まれ日本育ちの横綱を育て上げないと話にならんのだ。
かの大横綱千代の富士は漁師の息子として生まれ、漁の手伝いをしているうちに船の上で足腰が鍛えられたという。ボクシング東洋王者の幕の内一歩もそうだ。現代日本にはそういう子供達が減っているだろうから、逸材を見つけ出すのも容易ではないだろうが、相撲協会には頑張ってもらわねばなるまい。

*1:類例には水島新司の「おはようKジロー」が挙げられよう