いじめ

またいじめを苦にした自殺が起きてしまった。教師もいじめに荷担していたというから救いようがないが、何でこんなことが起きるのか。
どうも、教師が「いじめ」を理解していないような気がしてならない。
はっきり言って、人間が40人ほども集まった集団で、いじめが起きないはずがない。先生方も自分の過去を思い出して欲しい。自分がいじめていたorいじめられていたという直接体験がないとしても、クラスに一人はいじめっ子がいて、いじめられっ子がいたはずだ。なのになぜ、「いじめはなかった」などという台詞が出てくるのか。程度の差はあれ、いじめが起きないはずはないのだ。人間に限らず、生き物の世界は優勝劣敗が基本。ニワトリにはつつき順位、イヌにはマウンティングなど、他者に対する優位を示す行動を本能的にとるものである。子供たちを信じるとか疑うとかそういう次元ではなくて、いじめは人間の本質であるというくらいの認識を持って、事に当たってほしい。分別があるはずの教師が生徒をいじめるのだから、生徒同士ならなおさらである。
まぁ、なにぶん本質であるから、いじめ自体を根絶することなど不可能だが(これが可能だと考えているとしたらおめでたいと言うほかない)、きめの細かいケアがあれば、いじめが原因で取り返しの付かないことになることは避けられるはずだ。「地震をなくすことはできないが、地震による被害を防ぐ…少なくとも抑えることはできる」というのと同じ理屈である。
世の中の安全システムは、全て「○○が起きて欲しくはないが、残念ながら起きてしまうだろう。その時のために備える必要がある」という前提に立っている。いじめにもいろいろなパターンがあるだろうから、全てに備えるのは難しいかも知れないが、教師を仕事として選んだ以上、死力を尽くしてもらわねばなるまい。