今日はうちのえらい人が10月で異動する旨の内示がでたので、そのささやかなお祝いということで職場で軽く飲み。その時に、9月末に行われるソフトボール大会の話題が出た。ある係長が家庭の都合で車で参加せねばならなくなりそうだ、しかしソフトの後は飲み会があるし…。と悩んでおられた。私には一体何を悩んでいるのか分からない。飲まなければいいじゃないっすかと言うと、ある先輩がこう言った。

そんなのが許される世界じゃないんだよ

その瞬間ぶん殴ってやろうかと思った。いや、正確にはこいつしばき回したろかと思った。私のいまの職場は某中央官庁である。昨今これだけ飲酒運転が取りざたされ、公務員の懲戒が相次いでいる中で、こいつは何をほざいているのかと。そんな発言が許される世界こそがおかしいのである。
酒が出ると分かっている場に車で参加するのはよくない、という意見は一見筋が通っているように思われる。しかし、酒が出ることと当人が酒を飲むことは本来別問題である。飲む気満々でありながら車で来るのは問題だが、やむなく飲酒を諦めるのであれば全く構わないはずだ。酒というのは

  1. ○飲んでいい/×飲んではいけない という法的あるいはその他の強制力を持つ要因
  2. ○飲める/×飲めない という体質あるいは病状等による要因
  3. ○飲みたい/×飲みたくない という本人の気分

が全て○であるときにのみ飲むものであり、一つでも×がある人は飲むべきでなく、また飲ませるべきではない。人によってはみんなが飲んでいるのに飲まないのは自分勝手だなどと言うようだが、それよりも「飲ませたい」のほうがどう考えても自分勝手だということになぜ気づかないのだろう。
事情はどうあれ、車で来てしまった=車で帰らなければならない人に対して周囲の人間がやるべきことは、飲酒を薦めることでも、車で来たことを非難することでもない。ただひとつ、酒は絶対飲むなと言うことだけである。他のどの交通違反もそうであるが、飲酒運転は自制心一つで回避できるもの。飲酒運転の罰則が厳しくなって以降検挙数が下がった分は、自制心が少し弱い人の数。現在下げ止まっているのは、自制心の働かない人がやはり少なからずいるということである。自制心の働かない人から免許を剥奪しても車に乗ることを我慢できるはずがない。物理的に車を運転できなくする装置を義務化すべきではないだろうか。