写真の怖さ

写真は起きている現象の一瞬を切り取るが、時として嘘をつく。かつて日本を震撼させたオウム真理教の教祖・麻原彰晃は、座禅を組んだ姿勢で跳躍し、その写真を「空中浮揚の術」として信徒に見せ、自らの神秘性をアピールしたという*1。また夕刊フジやゲンダイといったタブロイド紙で有名人をこきおろす際には、まばたきの加減などで間抜けに映った写真がよく使われる。これも写真だからこそできる芸当だ。真を写すとは書くものの、写っているものは必ずしも真ならず。それを頭の片隅に置いておかなければ、うまい写真にはコロリとだまされてしまうだろう。

うちの子はまだ5カ月。当然、文字など読めるわけがないし、座右の銘は「あうー」と「ふえ〜」である。しかしたまたま、絵本を開いたまま両手で保持し、ちょっと難しそうな表情をしているところを写真に撮るだけで、あたかも絵本を読んでいるように見えてしまう。祖父母などがこの写真を見ると舞い上がってしまうに違いない。…私などはあまりの出来の良さに笑いを堪え切れないでいるのだが。

*1:そういえば高校の同級生でこの写真に挑み、見事実現したのがいる。デジカメのなかった当時は、現像するまでうまく撮れているかどうかとドキドキしたものだが、彼もその気持を味わっていたのだろう。何度も、何枚も撮っておいたに違いない。シバユウさん、今どうしているんだろう