産まれるまでのできごと

備忘録的に。臨月も後半、いつ産まれてくるかとハラハラヒヤヒヤする日々が続いた。
6/26は満月(しかも月食…これは吉兆か凶兆か?)。満月の日には生まれる子が多いという言い伝えを恐れていたけど、セーフ。
6/27は東大との定期戦。昼の間家を空けることになるのが心配だったけど、こちらもセーフ。
6/29の深夜はW杯日本-パラグアイ戦。残念ながら敗北し、日本のW杯は終わってしまったけれど、最期まで見届けることができてセーフ。
そしてその3時間後、朝5時頃におしるしおしるしにしては液量が多いと思ったら、これはどうやら破水しているようだと判断、病院に連絡。すぐに来院するよう指示を受け、ヨメ母さんにも連絡。6時過ぎに病院に到着し、各種検査の結果即時の入院が確定。ヨメ母さんは9時には病院に着けそうと聞き、状態も安定していたので私は8時前に職場へ。職場から病院は10分かからないので、駆けつけるのは簡単。
10時頃、10分間隔の陣痛との連絡。職場の方々より、さっさと行けとの暖かい言葉を頂き、急ぎの仕事を引き継いで病院へ。11時前に到着した頃には、すでに5分間隔。これは思ったより早く出てくるかと思ったが、ここからが長かった…。
子宮口も徐々に開きはじめ、15時に分娩室横の陣痛室とかいう部屋へ。間隔はどんどん短くなって、ヒーヒー言う声もしんどさを増してきた。ひたすらに腰をさする。「5分間隔」と言葉にするのは簡単だが、6時間半は約400分。つまり80回も陣痛の波は押し寄せ、そのたびにさすることになる。これはなかなかの重労働だった。
17時半頃、子宮口は全開との判断で分娩室へ移動。助産師さんたちが何やらいろいろ助けてくれるのを見つつ、いわゆる立ち会い出産に挑む。…まぁ、挑むと言っても別に私自身は全く怖くない。残念なほどに。
18時半頃、「ちょっと下りてきました。」出口をのぞき込んでみたものの、ちょっと広がっているのが分かる程度。
19時半頃、「さっきよりちょっと下りてきました。」W杯観戦の寝不足がたたり、分娩室内でちょっと居眠りしてしまった。
20時半頃、「もう少しで髪の毛見えます。」途中診察に来た医師(副院長先生)によると「尾骨に頭が引っかかってて、長引いてる感じ。今日中には出てくるかな?」とのこと。
21時頃、「髪の毛は見えてます。」たしかに、見えてたかもしれない。吸引器具が準備される。
21時半頃、院長先生が来て診察、「こんなの吸引しても出てこない、kaiserの準備はしてるの?」と、帝王切開を提案。「今のところ子供の状態は問題ありませんが、あと1時間頑張って出てこなければ切ります。ただ母体も疲れてきているので、準備が出来次第切るという選択もあります」とのこと。私は妊娠32週目のこんなこと言われた時点で帝王切開の可能性を覚悟していたので、あとは本人。さてどうかと思ったら即答で「もうしんどい、切って」と。よー頑張ったねと労い、手術の説明を受けて同意書にサイン。陣痛を止める薬などを投与し、手術の準備。
22時15分頃、ヨメはオペ室へ。「ご主人も、手術着着てオペ室入って下さいね〜」とのこと。何か入るのが当たり前のような流れに少々驚きつつも、特に抵抗なくオペ室へ。
入った瞬間、なぜかとても和やかな雰囲気…オペ室って談笑する空間か?と思いつつ、腹の中を捌かれながら笑顔のヨメ。麻酔ってすげえ。
そして22時46分、産声とともに頭が変形したうちの坊やが出てきた!分娩時、骨盤を抜けるために頭蓋骨をずらして変形させながら出てくると、ものの本で読んではいたが、その変形途中でハマッてしまったのがよく分かる形。喩えて言うならば、仏像の肉髷のようだった。
助産師さんたちが手際よく胃の中の羊水を吸引したり、清拭したりしてくださったあと、母親との感動の初対面!そのシーンをカメラで撮影!…したら、その背後に処置中の子宮が写りこんでしまってた。よって、ちょっとお見せできません(^-^;
そのあと、私は一足先に部屋を出て、体重測定などを見守った。3462g。分娩が長引いたせいか坊やにも負担がかかっていたようだとの判断で、保育器に入ることになった。
ヨメが縫合などの処置を終えてオペ室から出てきたのは23時過ぎだったと思う。改めてヨメを労い、病室へ戻ってそのまま寝た。まさにお休み3秒、長い長い一日の終わりだった。