理屈抜き

しきたりというのは、よく考えてみれば変なものである。まぁ、それは科学が進歩した今から見ればおかしいというだけで、一応それらしい理由がついているものがほとんどではあるんだけれど、たまに「なぜかは分からないけれど、これはそういうものなんです」ってのがある。お坊さんであるとか、専門の研究者などであれば知っているのかも知れないけど、多くの人は理由も分からずにとりあえずやってる。理由もいわれもよく分かってないから、地域によって徐々に変化していったりもする。その結果、県民ショーなんていう番組が成り立つことにもなる。
そんなしきたりというものが最近はすたれてきているな、というのは多くの人が感じていることだと思う。それは地元を離れて移住する人が増え、あちこちから来た人が混ざってしまうことで薄れているということもあるだろうけど、「何でこんなことせなあかんの?」という問いに答えられない、あるいは答えを聞いても納得できないということ、そして自分が納得しなければ「やりたくないからしない」で片付けてしまう人が増えたということも理由の一つなんじゃないかと思う。
合理的な行動様式とか、個性の尊重と言えば聞こえはいいけれども、伝統文化の軽視とか地域社会の崩壊という表現も間違ってない。年に一度のお祭りだとか、人が生まれたり、死んだり、還暦やら古希やらを迎えたりというような時の話については、やはり理屈抜きで祝ったり、弔ったりせないかんと思う。まぁ、「三日三晩○○する」とかいうようなイベントは多少簡略化していただきたいところだけども。
とにかく、せなあかんから、する。
したらあかんから、せえへん。
合理的な思考だけでなく、こういった理屈抜きの事柄についても受け入れるというバランスは大事だと思う。ならぬことはならぬものです。