いいはこつくろう鎌倉幕府

こないだテレビを見ていたら、「世界一受けたい授業」とかいう番組をやってた。再放送だった。その中で、最近の教科書と、我々が高校時代に使ってきた教科書では内容が変わっているという話が出た。鎌倉幕府の成立は1192年ではなく1185年だというのである。
源頼朝征夷大将軍に任じられたのは1192年であるが、全国に守護・地頭を配し、警察権・軍事権・徴税権を獲得したのが1185年だから、この年が頼朝による全国支配体制の始まりだというわけで、まぁ「一説」としては我々が高校生だった時代にも言われていたことだが、別に新しい事実が見つかったわけではない。どの時点をもって「鎌倉幕府」という抽象的なものの成立と見なすか、という後世(つまり現代)の歴史家の定義付けの問題である。個人的には幕府の成立を何年とするかは正直どうでもよくて、頼朝がどのような段階を踏んで権力を確立していったか、ということのほうがよほど大事な話だと思う。
さて、ここまでは番組を見た感想。ふと思ったのは、弥生時代のことである。奈良時代平安時代、またそれ以降の時代区分は、政変など年号がはっきりした歴史的事実によって分けられている。現在の北海道や沖縄をのぞいて全国的な支配体制が成立していたので、そのアタマの部分の変化をもって区分することができるということだろう。しかし、弥生時代の始期については、まだそのような広域支配などなく、「いつから弥生時代が始まったのか」は難しい問題だ。
弥生時代というと、

  1. 縄文式よりも高温で焼かれた、薄手で丈夫な赤褐色の土器
  2. 狩猟・採集中心の生活から水稲耕作への移行
  3. 打製石器から磨製石器への移行
  4. 青銅器や鉄器など、金属器の使用開始

などを特色として思い浮かべる。これらが全て揃った時期は間違いなく弥生時代に含まれるだろうが、どれかを欠いている場合、それは縄文時代なのか、弥生時代なのか?「弥生時代」を決定づける要素はいったいどれなのだろう。縄文後期には水稲耕作が始まっていたと聞くと、水稲耕作が始まっていたならそれはもう弥生時代と分類すべきでは、と思ったりするのだが。
あと、弥生文化というのは大陸から渡ってきた人によって伝えられたということなので、当然西からじわじわと浸透していくことになるが、どこまで浸透したら日本は「弥生時代」になるのだろう。それとも、地域によって時代区分を変えるのだろうか。

弥生時代前半までは東日本では漁労・採集を中心に、縄文式の文化が続いていた

という表現になるのか、

縄文晩期には、西日本では弥生式の文化が浸透していた

という表現になるのか、また

西日本では紀元前○世紀頃から弥生時代を迎え、東日本では紀元前△世紀頃まで縄文時代だった

のか。考え出したらきりがないが、これを考えるのは本職の人に任せるとしよう。鎌倉幕府の成立同様、どこで区切りをつけるかは歴史的事実そのものではない。個人的にはどうでもいいのだ。それでもつい考えてしまうあたり、暇な人だと言われても仕方ない。