人気と不人気

書くだけ書いてみたけど全然面白くない。ITmediaの岡田記者というキーワードに反応する人だけ読んで下さい。
ITmediaというサイトは、私が情報を収集したり暇つぶしをしたりする際に非常に役立っているサイトなのであるが、そこの岡田有花という記者がSecond LifeというオンラインサービスについてSecond Life "不"人気、7つの理由という記事を書いた。これに対し、そのサービスをよく利用している方がSEO経営:second lifeの7つの不人気に対する反論という文章を書かれている。
私はSecond Lifeというサービスにはまるで興味がなく、利用したこともないから、このサービスが私にとって楽しいかどうかはわからない。どちらの主張に近い印象を抱くかも、わからない。しかし、岡田記者の記事は、数字から見て「不人気である」という事実をまず指摘し、その理由を自身の感覚から探ったものだ。であるから、これに対する反論とは、「不人気である」という指摘そのものを別の事実によって覆すか、それができなければ不人気である別の理由を指摘するというスタイルしか存在しえない。一個人の楽しみ方をいくら主張しても的外れである。なぜなら、岡田記者は、このサービスを楽しんでいる人の存在を否定しているわけではなく、楽しんでいる人が少ないと言っているだけだからだ。「僕は楽しくてお金と時間をつぎ込んでいるよ」とか、「面倒くさいことを乗り越えたら楽しいよ」とか、「面倒くささこそが本質だよ」などと言われても、それを是としない人間が多ければやはりそれは不人気なのである。岡田記者のように受け取る人がいること自体が不人気の表れなのであり、人気か不人気かはどちらの受け取り方をする人間が多いかということにすぎない。
私自身、いろいろなものや事柄を他人に勧めてみることはあるが、何らかの比較対象があったり、数値的、客観的な指標がある場合はともかく、単独で「Aは楽しいかどうか」はきわめて主観的な判断なので、「楽しいよ」という勧め方は無力だということは身にしみて分かる。また、人によって心理的なハードルの高さはまちまちで、休みの日には一日パジャマでゴロゴロする人と、夜も明けぬうちに家を出て釣りに行く人とでは「朝9時に集合ね」という誘いに対する反応は違って当然だ。時間にしても、労力にしても、金銭にしても、人によって、また用途によって感じ方が変わるのは当然である。先日、ゴルフセットが案外安価なものである旨を書いたが、それでも数万円の出費が要るわけで、「それならやってみようかな」ととるか、「それでもやっぱり高いよ」ととるかはその人次第だ。私の主観では、特別に金がかかる趣味だとは思わないのだが、後者の判断を下す人が多ければ、やはりゴルフは金がかかる趣味だということなのだろう。旧来の友人たちと楽しさを共有できないのは残念だが、それはやむをえない。楽しさを共有できる新たな友達を作り、人付き合いを広げていけばよいのである。そうして、いろんな人が「楽しい人だ」と感じてくれれば、私は人気者だということになるのだろう。