美味かったら美味かったと褒めるのだが

晩ご飯を食べたのは赤坂の「叙々苑」。非常勤さんのお別れパーティで行ったんだけれども、総勢12名のうち上役は2名、常勤職員があと4名、残り6名は非常勤さんや派遣さんというメンバー構成もあって、叙々苑ならではの「高いけどうまい肉」を注文することはできなかった。食べたものは以下の通り。

  • 前菜三種(冷や奴、茎ワカメのおひたし、大根ナムル)
  • 和風チャプチェ
  • サラダ
  • キムチ盛り合わせ(大根、白菜、キュウリ)
  • 塩焼き盛り合わせ(タン、豚バラ、エビ、貝)
  • タレ焼盛り合わせ(カルビ、ロース、ホルモン)
  • カニ雑炊(なぜカニなのだ)
  • アイスクリーム
  • コーヒー

茎ワカメは美味しかった。サラダも美味しかった。キムチも美味しかった。チャプチェもまぁ美味しかった。でも、肝心の肉がね…。いや、不味かったわけじゃない。ただ普通の肉だった。たしかに、これは叙々苑における最廉価グレードの肉だというのは分かっている。ここは高い金を出してナンボの店だというのも分かっている。しかし、一人頭7000円ほども出してこの程度のグレードの肉しか出てこないというのでは、2万ほど出さないと感動するような肉には出会えないのではないかな。
これまで「肉部」でいろんなところに行ってきたが、エビとか豚バラとかそんな「非焼肉」を注文することなく6000円程度で非常にうまい肉をたらふく食べてきた。もしかしたら、叙々苑の最高クラスの肉はこれらの肉を凌駕するのかも知れない、いや、きっと凌駕するのだろう。しかし残念ながら、私は「○○円も払った」などと、支払った金額の多さを以て誇ったり、自分を満足させたりすることから最も遠い部類の人間だ。「高い金を払ったんだから、これはきっと美味しいに違いない」などとごまかされることもない。むしろ高ければ高いほど判定は厳しくなるタイプであり、ある種の研究によると典型的な関西人と言える。
芸能人が行こうが、雑誌に載っていようが、値段が高かろうが、美味いか不味いかには関係ない。第一、芸能人が美食家だなどという根拠は一体どこにあるのか?
今度もし来ることがあるとすれば、どこかの偉いお金持ちが全額支払ってくれる時だけだろう。その時、評価は変わるかも知れないが、自腹で行く限り決してお薦めはできない店である。