時代考証のミス?

大河ドラマ功名が辻」で、台詞に時代考証のミスがあったらしい。スポーツ報知より。

NHK大河ドラマ功名が辻」のせりふに時代考証ミス

 3日夜放送されたNHK大河ドラマ功名が辻」のせりふに時代考証上の誤りがあったことが分かり、9日午後の再放送で正しい内容に差し替えられた。

 ミスがあったのは豊臣秀吉の妻高台院浅野ゆう子)が「うちの人が亡くなって10年、関ケ原の戦から3年」と言った場面。秀吉の没年は1598年で、放送シーンは1603年の設定だったため「死んで5年」が正しかった。放送当日に視聴者から指摘があって間違いに気が付いた。

 このせりふは元の脚本になく、チーフプロデューサーが書き加えた際に事実関係を誤った。

(2006年12月9日16時15分 スポーツ報知)

えっとさ、ドラマ見てないから何の場面なのかわからんけど、問題はこの場面が秀吉没後何年かということよりも、秀吉が死んでから関ヶ原まで7年も空いてるわけがないだろうということだ。関ヶ原の戦ってのは、秀吉が一代で築いた権力基盤を確たる体制にしきれぬまま死に、ゴタゴタしている時期だったからこそ成り立ったものである。ていうかこの時代をテーマにした番組を担当する人間が秀吉の没年と関ヶ原の戦の発生年という超・初級の年号すら頭に入れてないなんて…
この話をものすごく大げさにとらえれば、年号を数字として丸暗記するからこんなことになる。歴史とは因果関係の連続。丸暗記の科目だという認識があるから、面白くないと言って敬遠される。かりに秀吉没後関ヶ原まで7年も空いたとすれば、秀吉が死んでも豊臣政権への打撃はそれほど大きなものではなく、徳川家康の力も他の臣下と比べて特別大きな物ではなかったと考えられるだろう。とりあえずは政権運営ができていたものの、例えば淀殿の傍若無人な振る舞い、あるいは秀頼のあまりの凡愚、秀頼の急死、他大名の反乱…などといった要因で徐々に求心力が低下し、支配体制が揺らいでいった結果という考察もできよう。「歴史に『もしも』はない」と言われるが、「歴史に『もしも』はつきもの」とも言われる。その「もしも」を考え始めた時、歴史は非常に魅力的な物になると思う。
…でも世界史は苦手でした。てへへ。