いじめ3

まったくもって呆れると言うほかない。
99年から05年まで、いじめによる自殺は統計上0件だった。まぁこの数字を信じている人はいないだろうが、読売新聞の調査によっていきなり6件が浮かび上がったというのだ。
「死んだらもういじめられない」
「私をいじめた多くの方へ」
などと書かれた遺書が見つかっているにもかかわらず、「友人との不和」「因果関係が認められない」などとして「いじめが自殺の要因になったか判断できない」のだそうだ。
もし現代文の問題で、「○○さんが自殺した理由を答えなさい」というものがあったとして、上記のような解答をしたら間違いなく×だろう。学校の教師や教育委員会の人間にはその程度の国語力しかないのだろうか。そんなはずはないと信じたい。「いじめられた」と言って自殺した子供について、それをいじめだと認めようとしないのは、学校・教委による遺族へのいじめと言ってもいい。見て見ぬふりのことを「臭いものにはフタ」というが、「臭い」「汚い」はいじめの常套文句。恐ろしい偶然の一致だ。
日本人は、万一の過ちを防ぐための仕組み作りは得意だが、万一の過ちを起こしてしまったあとの対処は苦手だ…と、何かで見た気がする。子供は過ちを犯すものであり、教育にはその過ちをただす役目がある。教育者たるものが、過ちを認めて改める姿勢を見せねば、子供はどこで過ちを改める術を学ぶというのだろう。

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なんか連載記事になってきた。