夏の終わり

気がつけば8月が終わりだ。それにしても子供の頃はとても重要な日だったはずの8月31日、今となってはかなりどうでもいい日…。
これを書いているのは9月2日の朝だったりするんだけれど、聞くところによると宿題が済んでいないのを苦にして自殺してしまった子がいるとか…?最近の子は思い詰めたら何をするか分からないな。徳山高専の事件にしても然り、稚内の事件にしても然り…。
「悩みを相談できる相手がいない」のが問題の一因であるともいわれている。人に相談してその問題が解決することもあるし、しないこともあるだろうけれども、自分だけが苦しんでいると思っていたらみんな悩みを抱えていたということが分かるだけでも随分楽になれるだろう。そうやって自分が楽になったという経験を持つ人は、人の悩みを聞いてあげようという気持ちを持つようになるかもしれない。そういった連鎖はいつの間に弱くなってしまったんだろう?プライバシーの保護が声高に叫ばれている昨今、自分の心の内は他人に見せない方がいい、見せるのは恥ずかしいというふうな拡大解釈というか誤解があるのかもしれない。昔は相手の土間まで入り込んでいっておしゃべりするような感じがあったが、今では門の外からインターホン。顔も見えず、声も機械的。喋る相手との物理的距離と心理的距離、そして踏み込める深さは決して無関係ではないと思う。
若者の間では「面と向かって電話する」なんておかしな表現も使われるらしい。たしかにメールよりは一歩踏み込んだコミュニケーションだろうが、顔をつきあわせて話すのと比べれば一歩遠い。コミュニケーション手段の多様化は、「広く浅く」を助長するのかもしれない。ビジネス雑誌では「一つの分野にだけ詳しいI型人間より、広範な知識と専門知識を兼ね備えたT型人間になれ」と言うそうだが、人付き合いにおいては「-型人間よりT型人間になれ」というところだろうか。

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思いついたことを書き連ねていったらえらくマジメな話になってしまった。