変わるもの、変わらないもの

土曜日、実家のアイドル・ビートルちゃんを駆って姫路の街をうろついていたら、お城の近く、男山あたりを淳心の野球部員が走っているのを目撃。ああ、今日は練習してるんやなということで、新校舎ができて狭くなったグラウンドにお邪魔することにした。ビートルちゃんはおうちに置いて、やっぱグローブ持って帰ってきたらよかったなぁと思いつつ、てくてくと歩いて家から5分。
いきなりグラウンドに入ると、サッカー部の中学生が挨拶してくれた。知らない人にでも挨拶をするようにと昔から言われていたけれど、こうして挨拶されると何とも言えず嬉しいもんだ。
職員室を覗いてみると、懐かしい顔がとりあえず2つ。英語科のクイズ好き・エビス先生と、理科のヨシコー先生(本名を隠すため、あえてこう書かせて頂きます)。いずれも野球部の顧問であられ、大変お世話になった先生方である。いろいろと昔話をしつつ、今の話をしつつ、お変わり無くお元気であることを喜んだ。もう卒業して9年になるが、意外と老け込んだ様子もない。ただ、定年で学校を去られた先生方の数を思うと、やはり9年という年月は長いものだと思わざるを得ないのだが。
今日は国語科毎年恒例の百人一首大会らしい。言われてみれば、国語科の先生だけがすっぽりと見あたらない。6年連続出場という最多タイ記録保持者(卒業式の後なのにまだ出場した。ちなみに京大二次試験10日前)である私としては血が騒いだが、卒業生が優勝をかっさらうわけにはいかないので我慢。ま、6回出て一度も優勝はしてないんだけどね。
もっとも会いたい人である高校野球部の監督・ツボ先生は、男山で階段ダッシュのタイムを測定しているとのことだったので、1時間ほど街をぶらついて時間つぶしをすることにした。時折帰省しているとはいえ、そのたびに新しい店ができていたり、あったはずの店が無くなっていたりして、姫路の街は発展しているのか、廃れていっているのか、若干気になってしまうところである。
戻ってきてみると、部員たちは練習を始めていたが、ツボ先生の姿は見えない。まだ男山におられるらしい。ここ数年、練習を見ていなかったこともあり、知っている部員が一人もいないことにショック(いるほうがおかしいんだが)。そして見た目では17歳と15歳の区別がつかなくなっていることにもショック(歳が離れるとこうなるのか)。何よりも、27歳、10歳上という年齢が「お父さんみたい」と表現されてしまったことに大きなショックを受けた。
そうこうしているうちにツボ先生がお帰りに。後輩諸君の前でちょっとだけ挨拶をし、シメに「S5(高2)はそろそろ受験のことが頭をよぎってると思うけど、夏終わって引退してからでも絶対間に合うから、最後まで悔いの無いように!」と言うてきた。そう、絶対間に合うんである。中途半端な気持ちで悔いを残して欲しくない。親に言われてしぶしぶ辞めていった部員の顔を、先生は何十人と見てきただろうし、誰にとっても悔いが残ることだと思う。受験はやり直せるけれども、高3の夏は一度きり。10年前の自分と重ねながら、つい熱く語ってしまった。
その後、中1のときの担任だったH先生(現在は副校長)と少々、高3のときの担任だったT内先生と歓談。また「お前、あの辞典のページ早よ消せ」言われてしまった(笑)今だに、「ある種」がポロッとこぼれると生徒が笑うのだそうだ。古いネタで申し訳ないが、生徒が楽しんでくれているならそれでいいか。
見かけは大きく変わってしまった母校だが、それでも昔と変わらぬ先生方がおられ、今でも立ち寄るとほっとできるというのはありがたいことだ。そう思っていると、下校15分前の放送が始まった。
…同じだ。
今でも暗誦できることに少々の驚きを覚えつつ、変わらぬ母校を後にした。

下校の催促(げこうのさいそく)
下校15分前になると自動的に流れる放送。事務員の女性の方が吹き込んだと思われる。標準語を装いつつも、播州弁のイントネーションが抜けきらないところが魅力的だ。なお、文面は以下に示すとおりである。

間もなく、下校時間です。速やかに、後かたづけを済ませて、下校の準備をしなさい。
教室や部室を出る時には、戸締まり、消灯を忘れないようにしなさい。
下校15分前です。