談合三兄弟

べつに誰か特定の3人を指し示しているわけではない。
談合は良くない、やめるべきだ。うん、それはその通りだ。ではどうやったら談合がなくなるだろう?それを考えるためには、その裏にある「なぜ談合があるのだろう」つまり談合をする事による利益を考える必要があろう。きわめて簡単に考えると、業者ができるだけ高い価格で、かつ均等に仕事を割り振ってもらうことで収益を確保できるということだ。そうだ、ほんとはもっと安い価格でできる工事なのに、談合のせいで釣り上げられている!税金の無駄遣いだ!
ではなぜ依頼側はわざわざ高い値段で工事を引き受けてもらうのだろう?そうか、そうやって恩を売って、官僚の天下り先を確保しているのだ!なんて卑劣なギブ&テイク!天下り断固反対!
しかしこの考え方には一つ大事なポイントが抜け落ちている。それは公共工事の依頼主である国や公団や地方自治体という連中は、すべからく単年度会計制度をとっているということだ。つまり、その年の予算はその年のうちに使い切らねばならないのである。使い切らねばならないから、予定通りの金額で落札してもらえれば楽でいい。この制度においては、安く上げてお金を余らせるということは、すなわち新たなお金の使い道を考えなければならないということなのである。では新たな工事をすればいい、もしくは予算を減らせばいいということになろうが、前者だと仕事が(当事者にいわせれば「余計な」仕事が)増えるし、業者にとっても利益率が低下してしまう。後者の方も、予算を多くとってくる者が優秀であるという公務員の文化に反することになり、どこかが率先して取り組むとは思えない。取り組んだところで、他の者が「うちは減らさずに済んだ」とほくそ笑むだけである。
実に情けなくはあるが、談合は業者と公団の癒着だけで済む話ではない。大げさにいえば日本の公務員制度および国の会計制度が今の形である以上容易には避けがたい病気なのではないか。私の職場も単年度会計を採用しているが、この制度はどうにもデメリットばかりが目立ってしょうがない。頭のいい人が霞ヶ関には集まっているらしいから、なんとかいいアイデアを出してもらいたいものである。