立命の山田

私と同学年に当たる彼は、関西学生野球(首都圏で言う東京六大学に相当)リーグで当時トップの投手だった。アマチュアNo.1と騒がれ、シドニー五輪代表にもなり、2000年秋のドラフトでは逆指名でダイエーに入団。リーグの試合で投げる山田を見たいと、大阪南港球場まで行ったこともある。この日以外、母校・京大硬式野球部のリーグ戦に行った記憶がない*1。残念ながら当日山田は途中出場だったが、打席に向かう背筋の盛り上がりには脱帽した。これがプロに行く人間の体つきか、と思った。
そんな彼がプロではめざましい成績を残せず、たまに中継ぎで出てくる姿を見る程度だなと思っていたらいつの間にか戦力外、アイランドリーグ入り、そしてトライアウトからロッテに入団。登録名も「秋親」になっていた。そして昨日、6年ぶりの勝利。何となく感慨深い。
ちなみに、当時立命館の先発二本柱はこの山田と「あの」平本学投手。「あの」とつけたのは、ごく一部ではマニアックに知られた選手だから。剛速球+ノーコンという、野球マンガではよくあるキャラクター設定を地でいく投手だったが、残念ながら大成することはなかった。

*1:しかも見に行ったのは立命館vs近畿大。この日の第二試合・京大vs同志社は5回途中降雨ノーゲームだった。勝ってたのに残念