動物愛護団体とか菜食主義者とか

こんな記事を見た。asahi.comより(一部要約)。

 米ケンタッキー州議会に置かれている故カーネル・サンダース氏の胸像を撤去するよう、動物愛護の活動で知られる人気女優パメラ・アンダーソンさん(38)が州知事に訴えた。

 胸像は同州出身の名士として飾られているが、アンダーソンさんはニワトリへの残酷行為の象徴だと主張。AP通信などによると、知事は「カーネル・サンダースは、ケンタッキーの象徴だ」として拒否した。

 アンダーソンさんや動物愛護団体PETAは、KFCの使うニワトリが、養鶏場から食肉処理に至る過程で残酷、非道徳的に扱われているとするキャンペーンを展開している。KFCは「ニワトリの道徳的な扱いに努めており、鶏肉の供給者にも指針に従うよう求めている」と反論している。

KFCの養鶏場がどんななのかはよく知らないけれど、一般的なブロイラー鶏の生育環境はひどいもんだと思う。可哀想だとも思う。あれは飼育場じゃなくて肉と卵の生産工場と言ってもいいだろう。「人間が食べるための動物」の典型例と言ってもいい。
で、これが非道徳的だとすると、対極に位置する野生の生物を捕って食えばいいのだろうか。なんかこないだ捕鯨に文句つけてた団体がいたような気がするぞ。これは鯨だからだめなのか?野生の牛を捕って食えばいいのか。しかし野生の牛ってのはたいがい絶滅危惧種のはず。捕って食うわけにはいかない。
なるほど、つまり野生に近い、広々とした環境で育てて食えばいいわけだな。でも全ての家畜をそのように育てるとするとコストが非常に高くなって、食肉は上流階級だけのものになるぞ。ほら、地鶏とか黒毛和牛とか、高いっしょ?
じゃあ庶民はどうやってタンパク質を確保すればいいのか。ブロイラーがなくなったら卵だって高くなる。とすると植物から摂るしかないわけだ。植物を増産しよう。
ところで菜食主義者って人は、健康のためにそうしている人もいるだろうが*1、「動物を殺して食うのが可哀想」という自己満足な人々だと解釈している。植物だって生命であることを知らないらしい。それを根こそぎ掘り起こし、切り刻んで火にかけて食べることは可哀想じゃないらしい。子孫を残し、繁栄するための種子をごっそり食って消化しても気にならないらしい。農薬をまいたりしたら虫が死んでしまうけど、可哀想ではないらしい。植物を守るために動物を殺していいはずがないのにね。
家畜を野生に近い状態で飼育しろと言いながら農作物はかまわないってのは変な話で、ハウス栽培やら水耕栽培やら化学肥料も否定されることとなろう。牛はいいけど鯨はダメとか、動物はあかんけど植物ならかまへんとか、そんなのは人間様の勝手な押しつけである。
ああ植物もろくに食べられない。でも食糧生産が間に合わない。じゃあ人間を減らせばいいのかな?で、「せっかく減った人口です、このまま増やさず、優秀な人種だけを残します」(c)ギレン・ザビてか。いやそれはマズイだろう。
人間が地球上で生きていくには、人間が増えすぎているわけで、それを解決するには二つの方向しかない。人間を減らすか、食糧生産の密度を上げるか。それなのに、後者を否定するということは、人を減らすことを肯定することにつながり、道徳とか人道とかいう言葉に真っ向から反対しているのではなかろうか。
要するに、冒頭のようなことを言えるのは、食い物を選べる立場にある贅沢な人々なのである。自分らは食糧が少々高くなったって大丈夫、それで死ぬのは貧しい人々、って考えである(あるいはそもそも人のことなど頭にない)。何でもありがたく、残さず食え!永六輔は言っている。「いただきます、というのは、あなたの命を頂きます、私の命にさせて頂きます、っていうこと」。殺すと考えるのではなくて、自分の命にするという発想はすばらしいと思う。「もったいない」が世界に広まっているらしいが、次は是非「いただきます」が広まっていってほしいな。

*1:歯や消化器官の作りを考えると、野菜偏重が人間の体に合っているとは思えないが