*[野球]近藤節でお送りする新人戦

近藤唯之さんという方がいる。長年新聞記者として野球の取材に携わり、数々の名勝負をじかにご覧になり、それにまつわるエピソードを書かれている方である。なので、野球好きであればこの方の文章をお読みになったことがあるかもしれないが、その文体は「近藤節」と呼ばれ、

  1. やたら「男の人生」とか言いたがる
  2. 「〜のは、この○○ひとりしかいない」と断言する。なるほど、しかし時に「〜」の部分がやたら細かくなる
  3. 軍隊にまつわるたとえが多い

という特徴がある。今回はその近藤節を取り入れて書いてみました。読んだことがある人も、そうでない人も、お楽しみ下さい。

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平成21年6月28日、東京大学駒場グラウンドは熱気に包まれていた。前日、劇的な逆転サヨナラ勝利を収めて勢いに乗る東京大学に対し、京都大学は、兄貴分たちの仇をとるべく目の色を変えて勝ちにいったに違いない。その気迫どおり、7回まで東京大学を完全に押さえ込み、試合は3対0でテンポ良く進んでいた。その立役者は京大準硬一年生、左腕のM投手である。前日の乱戦は、観客である両校OBの心臓に負担を強いるものであったが、この日のM投手の快投に、溜飲を下げたOBも多かったに違いない。
実はこの試合、京都大学にはいくつかの誤算があった。ひとつは前日の試合があまりに乱れたために、今日の新人戦でだけ投げるはずだったM投手をつぎ込んでしまったことである。M投手はこの春に入団したばかりの準硬一年生である。その彼を9回裏無死満塁で投入せざるを得なかったのは、準硬二年生、すでにチームの柱となっていたT投手の不調のためであった。この時M投手は期待に応え、無失点で切り抜けた。この後京大が勝ち越せば、M投手は間違いなくレギュラー戦の優秀選手である。しかし、9回から11回をゼロに抑える好投を見せたものの、最後はサヨナラの負け投手になっている。
ふたつめは、同じく前日の死闘でI捕手が故障してしまったことである。捕手というポジションは下半身に壮絶な負担がかかる。ただしゃがんでいるだけで楽だというのは野球を知らない人の誤解である。I捕手の故障のため、本来ならM投手とリレーで登板するはずだった、チームの柱T投手が捕手として出場せざるを得なくなった。I捕手の不在は攻撃面でも痛手であり、京都大学としては飛車角落ちの気持ちである。なおもうひとりの捕手は、なんと寝坊のため、7回の時点でまだ球場に到着すらしていない。これは軍法会議ものの失態であるが、いないものは仕方がない。
このふたつの誤算のため、M投手は連投を強いられ、しかも完投の義務を課せられたのである。入団したばかりの一年生左腕が、たったひとりでマウンドを守りきらねばならない。男にはそういう舞台が回ってくることもあるが、少し早すぎた。8回、東大打線に捕まったM投手は同点に追いつかれ、9回にサヨナラ打を許してしまった。東大・京大の対抗戦の50年以上に及ぶ歴史の中で、2日続けてサヨナラ負け投手になったのは、このM投手ひとりしかいない。
しかし、私は思うのだ。前日の試合、9回裏に打たれてサヨナラ負けを喫していれば----もしくは京都大学があっさりと勝っていれば----、M投手はもっとよいコンディションで新人戦に臨み、最優秀新人に輝いていたかも知れない。しかし結果は不名誉な連続サヨナラの負け投手である。なまじ好投してしまったゆえに、M投手は自身のスタミナを消耗してしまった。最優秀新人の機会は一生に一度きりである。男の人生は何が影響するかわからない。

雨中のOB戦

私は年に2回しか野球をプレーしない。一度は秋のOB対現役及びOB同士の戦い。そしてもう一度が、この東京大学OBとの戦いである。半年に一度しかボールを握らない人間がどれほどのプレーを見せられるかというと、やはり現実は甘くないのであるが、相手も相応に衰えていることと、私のポジションが主に捕手であり、走らなくても済むという点ではなんとかこなせているところだ。ただ、相手に盗塁を試みられると大変であるが…。
ただこのOB戦で、私の主な仕事はプレーではない。OB全員に出場の機会を与え、かつけが人が出ないような配分を考えて実行することである。事前に出場の連絡があったとおりの人数であれば計算も用意なのだが、ドタキャンもいれば前触れもなく現れる者もいる。3イニング任せようと思っても疲れたから代わってくれと言ってきたりする。もうグダグダになってしまいそうなところをなんとか食い止めるのが役目なのだが…そこへきて今年は空模様が怪しい。雨が降る=9回までもたない=前倒しでみんな出せ、ということになり、いつも以上に慌ただしい選手交代になってしまった。もう、勝ち負けなんて二の次である(つまり負けた)。かろうじて全員に出場機会を、たぶん打席も与えることができたと思うのだが、達成感よりもただほっとした、そんな1時間だった。